みはら歴史博物館れきしはくぶつかんは、みはらと関係かんけいふか歴史れきし展示てんじをおこなっています。
博物館はくぶつかん展示てんじをみて、美原地域みはらちいき歴史れきしをじっくりかんがえてみましょう。

古墳こふんってなあに?

つちをもりあげてつくったむかしのおはかのことです。いまからおよそ1700ねんから1400年前頃ねんまえごろおおきな古墳こふんをつくった時代じだいがあり、そのころのことを古墳時代こふんじだいとよびます。古墳こふんには、いろいろなかたちおおきさがあり、これは身分みぶんくらいをあらわしているのではないかといわれています。美原区みはらくにも「黒姫山古墳くろひめやまこふん」という古墳こふんがあり、大量たいりょう甲冑かっちゅうつかりました。

甲冑かっちゅうってなあに?

甲冑かっちゅうとは、「よろい」と「かぶと」のことで、たたかいのときにからだをまもる武具ぶぐです。「よろい」は、どう手足てあしをまもり、「かぶと」は、あたまをまもります。黒姫山古墳くろひめやまこふんからは、24りょう*もの甲冑かっちゅう出土しゅつどしました。ひとつの古墳こふんからつかった甲冑かっちゅうとしては、いまのところ日本一(にほんいち出土量しゅつどりょうです。

[りょう*・・・ひとそろいのものをあらわします]

 

鋳物師いもじってなあに?

どうてつなどの金属きんぞくかたかしていれ、生活道具せいかつどうぐかね仏像ぶつぞうなどをつくる職人しょくにん鋳物師いもじといいます。
美原地域みはらちいきには「河内鋳物師かわちいもじ」とよばれる職人しょくにんたちがんでいました。河内鋳物師かわちいもじがつくったかねは、近畿地方きんきちほう中心ちゅうしんに、関東地方かんとうちほう中国・四国地方ちゅうごく しこくちほうにまでられます。